豊臣秀吉が天下をとり、
伝統を超えた豪快な美が生まれた桃山時代。
古来、漆芸品に描かれる文様と言えば、
吉祥文様や、古典文学を題材にしたものなどでしたが、
この時代、その常識を打ち破るニューウェーブが到来しました。
それが、「高台寺蒔絵(こうだいじまきえ)」です。
こちらの鏡台や徳利もそのひとつ。
その誕生の歴史をひもときましょう。
「高台寺蒔絵」って
どんなもの?
秀吉亡きあと、その妻ねね(北政所)は、夫の冥福を祈って、京都に高台寺を建てました。中でも、秀吉&ねね夫婦の御霊をまつる霊屋(おたまや)は、秀吉が建てた伏見城から移築したといわれ、その中の須弥壇(しゅみだん)や厨子(ずし)には蒔絵の装飾がほどこされています。
その特徴は、平蒔絵(ひらまきえ)などのシンプルな技法によって、秋の草花などの文様が造形性を重視して力強く描かれていること。
高台寺には、同様の蒔絵がほどこされた調度品がたくさん残っています。これを「高台寺蒔絵」と呼び、同様式の蒔絵の総称ともなります。
吉祥文様や古典文学など、文様が深い意味をもつのではなく、文様それ自体の美しさをシンプルに楽しむ。つまり、デザインとしての文様です。漆芸品の世界に新風が巻き起こりました。
予情豊かに自然を描く
ご覧いただいている鏡台は、サントリー美術館が所蔵する高台寺蒔絵のうちの代表作です。
八重菊、萩、りんどう、桔梗、女郎花、藤袴・・・
秋の草花の競演。正面では、向かって左下から右へと空中へ放たれるように草花が配され、
右の側面へと文様が続いています。のびやかに弧を描く草の上の、丸い粒が見えますか?
繊細な露の玉、詩情溢れるデザインですね。
ところで高台寺蒔絵は、なぜ秋の草花をモチーフにしているのでしょうか?
どこか物悲しくはかないその美しさが、日本人の美意識に寄り添うから・・・
そんなふうにも思われます。
ねね愛用の調度品を飾ったこうした高台寺蒔絵は、高台寺にとどまらず、
漆芸品の一大ジャンルとなっていきます。
漆の美に魅了された
西洋の王族からもオーダーが。
高台寺創建から時代を少しさかのぼって、戦国時代の天文18年(1549)。
イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教を伝えました。
これをきっかけに、スペインやポルトガルから新しい文物が輸入され、
大名から庶民まで南蛮(なんばん)ブームが巻き起こりました。
やがて西洋からやってきた宣教師たちは、漆黒に黄金が輝く蒔絵を初めて目にし、すっかり夢中!
さっそく自分たちが使うものをオーダーします。いわゆる「南蛮漆器」と呼ばれ、
その頃時代のメインストリームであった高台寺蒔絵をベースにして制作されました。
日本と西洋、
美のモチーフの組み合わせ。
こちらはキリスト教の「聖母子」像を納めたもので、聖龕(せいがん)といいます。海外から日本に里帰りしたものです。
扉の中央には、菊や萩。そして蝶や鳥。それをぐるりと取り囲む部分には、西洋風の幾何学文様。当時の職人たちは、注文主の西洋人が描くものを写して、西洋のデザインを取り入れたのかもしれません。
技法は、高台寺蒔絵の定番、シンプルな平蒔絵を中心に、螺鈿も使われています。
きらびやかに文様で空間を埋め尽くす、西洋の美意識の表われでしょう。
「蒔絵と螺鈿で豪華にしてね!」と宣教師のオーダーが聞こえてきそうです。
まさに東西文化の融合のたまもの。
中に納められている聖母子像とよく似た像を納めた聖龕が、はるか海の向こう、オランダの博物館に伝わっているそうです。海を越えてつながる2つの聖龕。ロマンを感じますね。
江戸時代には、キリスト教が禁止され、鎖国となっていましたが、長崎の出島からオランダの東インド会社を通じて、蒔絵の輸出は続きました。丈夫で機能的で、なにより、日本にしかない美しさがある。
王侯貴族の間で大人気となり、蒔絵は「Japan」と呼ばれます。「漆といえば日本!」だったのです。
オーストリア・ハプスブルグ家の女帝、マリア・テレジアは、「ダイヤよりも漆器」と言うほどだったとか。
その娘、かのフランス王妃、マリー・アントワネットは、ヴェルサイユ宮殿に蒔絵の小箱コレクションの部屋を作らせています。
漆のつややかな黒への憧れは、やがて西洋の塗料で漆を真似た「ジャパニング」の誕生にまで及び、
あのグランドピアノの黒にもつながっているそうです。
こうして漆の美は世界に広まり、今も世界中で愛されているのです。
5回に渡ってお届けしてきた、「漆」の世界。お楽しみいただけましたか?
端正な姿からは想像できないほどの複雑な工程。
想いの詰まった華麗な装飾。世界で愛された名品。
知れば知るほどその魅力は増すばかりですね。
さて次回からは、土と火の芸術、
「やきもの」の世界へと皆様をお連れします。どうぞお楽しみに!