龍神、弁才天…水にまつわる神や仏は、日本各地の社寺に祀られ、
古来、日本人の生活に寄り添ってきました。
本コラムでは、屛風の名品を「水にまつわる信仰」という新鮮な切り口でご紹介します。
今回ご紹介するのは、室町時代から桃山時代頃の作品、「日吉山王祇園祭礼図屛風」です。
京の都を守る、日吉大社
屛風の右隻に描かれているのは、全国に知られる日吉大社の山王祭。
京都の北東、比叡山。その西のふもと、清らかな水が流れ古木が生い茂る豊かな森に、日吉大社はあります。日吉大社の東本宮の神様は、大山咋神(おおやまくいのかみ)。背後にそびえる比叡山系の八王子山(牛尾山)の山の神様です。一方、西本宮は、大己貴神(おおなむちのかみ)。飛鳥時代に奈良の三輪山から、琵琶湖を渡り、この地にお迎えした神様と伝わります。
日吉大社は京都の表鬼門に位置し、都を災いから守る「鬼門除け」の神社とされてきました。また、最澄が比叡山に天台宗延暦寺を開いて以降、その守護神としても信仰されています。
山王祭は、八王子山から琵琶湖までを舞台に繰り広げられる、華麗で勇壮な神事です。祭りの後半、西本宮に7基の神輿(みこし)が勢揃いし、先を争うように山から担ぎ下ろされ、琵琶湖畔へと運ばれます。
そして、いよいよこの屛風に描かれている場面。「大己貴神が琵琶湖を渡ってきたとき、地元の漁師が自分の昼飯用の粟飯を大己貴神に捧げた」という説話を再現する「神輿渡御(みこしとぎょ)」です。7基の神輿をそれぞれ神輿船に乗せ、琵琶湖の沖合へ漕ぎ出します。そして御供船(ごくせん)と呼ばれる小舟が近づき、湖上で神輿船に供物を捧げるのです。
大己貴神が琵琶湖から上陸した地とされるのが、立派な松の木が立つ唐崎です。
大勢の人が湖上の神事を見守っていますね!
疫病封じの神、祇園さん
一方、左隻に描かれているのは、千年の都、京都の夏を彩るお祭り、八坂神社の祇園祭です。
八坂神社の神様は、インドに起源をもつ疫病の神、牛頭天王(ごずてんのう)。そしてこの牛頭天王は、日本の神様、スサノオノミコトと同一とされています。日本神話の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で有名な勇ましい神様ですね。
かつて京の都では、特に蒸し暑い夏、しばしば疫病が流行しました。平安時代の人々はそうした災厄を無念の死を遂げた人々の祟りと考え、怨霊をなぐさめる御霊会(ごりょうえ)を行いました。「祇園祭」の起源は諸説ありますが、そのひとつといわれるのが、869年、御所の庭園「神泉苑(しんせんえん)」で行われた御霊会とされます。当時の日本の国の数にあたる66本の鉾を立て、京の町に住む男の子が運んできた御輿を祀って御霊会を行ったところ、疫病の流行がおさまったと伝わります。
ここは鴨川。四条大橋を渡って画面右に進めば、八坂神社。橋の上の子供たちは、祇園祭の行列を見ようと駆けていきます。祇園祭の幕開けは、この橋に神輿を運び、鴨川の水で神輿を清める「神輿洗い」。もともとは、神輿を清めるだけでなく、鴨川の水の神様をお神輿にお遷しする神事だったともいわれます。
こちらは三条通を行く神輿行列。男の子が御輿を神泉苑に運んだという祇園祭の起こりを思わせる行列で、先頭は馬に乗る子供、「駒形稚児(こまがたちご)」。3基の神輿が後に続きます。
ここは四条通。「エンヤラヤー」と、山鉾(やまぼこ)を引く男たちの威勢の良い掛け声が聞こえてきそう!山鉾巡行は神輿行列の日に合わせて行われ、都は熱気に包まれます。山鉾は染織品、天井絵、彫刻などで飾られ、「動く世界の美術館・博物館」ともいわれる豪華さ。
こちらは三条通と四条通をつなぐ、寺町通り。今は失われた伝統、牛に乗る「乗牛風流(のりうしふりゅう)」の一行です。
今も京都の各区域ごとに、個性豊かな山鉾が受け継がれています。上に乗せる作り物は日本神話や中国の故事などから取られており、ご覧の山鉾は、なんとカマキリ! カマキリが自分の力を顧みずに強敵に立ち向かう様を喩えた中国の故事が元になっているんだとか。
「コンコンチキチン」と鳴り響く祇園囃子は、疫病を集めて都の外へ追い払うとされます。
日本を代表する二つのお祭りにも、水にまつわる信仰がたっぷりでしたね!
さて次回は、「これも日本製の屛風?」と驚くような、西洋画風の屛風が登場!
その誕生秘話と数奇な運命に迫ります。