
市民参加型イベントとしても人気の、年末恒例ベートーヴェン作曲「第九」の「歓喜の歌」合唱と、ヘンデル作曲「メサイア」の「ハレルヤ」コーラス。「歓喜の歌」は以前このコラムでも触れましたが、今回は「ハレルヤ」についてご紹介しましょう。実際の演奏会で体験した方もいるかもしれませんが、「ハレルヤ」コーラスを聴くときは観客も起立する習慣があるとか。この“「ハレルヤ」立ち”の謎はどこから来たのか、「メサイア」初演にまつわる話から現代への変遷で見てみましょう。
オペラ作曲家から華麗な転身…とはいかなかったヘンデル中年期
ヘンデルが活躍した18世紀、劇場で聖句を扱う作品を上演することが「冒瀆(ぼうとく)行為」と批判される時代だった。
ドイツ生まれのゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759年)は20代半ばで渡英、オペラ作曲家として成功を収めます。興行家としても活躍しましたが40代で興行不振、持病のリウマチも悪化し経済破綻。
心身ともに疲れ果てた頃、宗教的内容が色濃く反映された“オラトリオ”の作曲にのめり込んでいきます。オペラの上演が禁止だった四旬節(カトリック教会が定める謝肉祭後の水曜日から復活祭前日の土曜日までの期間で例年2月~4月の46日間)にオラトリオの上演を思いついたのです。オペラと違い、衣装や舞台装置の必要がなく声楽とオーケストラのみのオラトリオ。低予算ででき、台所事情の厳しいヘンデルに好都合だったのでしょう。
しかし当時の宗教関係者から、聖書の言葉(聖句)を使う作品をエンターテインメント性の高い劇場で上演することに「冒瀆(ぼうとく)行為」と批判が集まり、順調な再出発とはいきませんでした。
チャリティーのアイデアが大ヒット。
やがて祝祭・年末イベントの代名詞に
それでもオラトリオの創作に力を注いだヘンデルのもとに、当時のアイルランド提督から「メサイア」の作曲依頼が舞い込みます。「メサイア」とは救世主(メシア)、すなわちイエス・キリストの生涯を題材にしたもの。このときヘンデルは“何かに取り憑かれたかのように”一気に曲を完成させ、途中、涙を流しながら筆を進める姿を召使いが目撃したという逸話も。
オラトリオの劇場公演に批判があったこともあり、「メサイア」は慈善演奏会として初演を迎えました。結果は大成功。700人を集め、400ポンドにのぼる収益金は病院や救済団体に寄付されました。その後も、親をなくした子どもたちのための施設を援助する演奏会などチャリティーとして世に広まった「メサイア」は、やがて規模も大きくなり、ヘンデル初演時20~30人程度だったコーラスは19世紀半ばには数百人、1869年の平和を祝う祭典では1万人のコーラスと500人を超えるオーケストラで演奏されました。
スケールの広がりとともに祝祭的な性格を帯びた「メサイア」は、四旬節だけではなくイエスの降誕・クリスマスを祝う12月に演奏されることが多くなっていきます。
※アリア…オペラやオラトリオなどの劇音楽で中心となる、叙情的・旋律的な特徴を持つ独唱曲
英国発の”「ハレルヤ」立ち”。日本での始まりは藝大演奏会から。
戦災孤児支援の取り組みとして始まった「藝大メサイア」も今年で66回を迎える。
さて、そろそろ“「ハレルヤ」立ち”についてお話ししましょう。「メサイア」のロンドン公演はダブリン初演の翌年、1743年春でした。ここに英国王ジョージ2世が臨席し、第2部で「ハレルヤ」コーラスが始まると…国王が感動のあまり(?)突如として立ち上がったのです!
聴衆たちもそれに続き、以来「ハレルヤ」コーラス時には全員が起立するという習慣が生まれました。(英国では全知全能の神を讃える歌が演奏される時には起立するという習慣があった、ともいわれています)
日本では、1951年12月に東京藝術大学の主催で行われた戦災孤児支援のチャリティーコンサートで「メサイア」が初めて演奏され、以来年末になると「ハレルヤ」コーラスが聞こえてくるようになりました。しかし”「ハレルヤ」立ち”は賛否両論。マナーの観点から演奏中に立ち上がることに否定的な意見もあれば、ここぞとばかりに観客も立ち上がり一体感を楽しむケースも。演奏会にお出かけの際は、事前に主催者に”「ハレルヤ」立ち”を確認しておいた方がよさそうですね。
日本が誇る世界屈指のバロック演奏団体バッハ・コレギウム・ジャパンによる「メサイア」はサントリーホールでもすっかりお馴染み。今やベートーヴェンの「第九」同様年末の風物詩となったヘンデルの傑作を最高の演奏でお楽しみください。
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」(全曲)/鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパン
ウエルネスライフマガジン 2016年11月号掲載分